Interviewed by Salam Unagami 2
part2「DJという行為を通じてハレの日の音楽を担っている」
~『Sacred Days』について、前作「ダンサー」と比べると民俗音楽のサンプリングが増えた。以前作っていたchari chari名義の作品のような。
「そう言われることが多いね。フォルクロア、民俗音楽、辺境の音楽への興味が再び自分の中で浮かび上がってきたから。それは90年代の頭に六本木WAVEのワールドミュージックのコーナーで働いていた頃から変わらないけれど。思い起こすと、幼稚園から小学校四年生まで岡山に住んでいて、当時は自然がまだまだ残っていて、川で手づかみで魚を捕まえて遊んだり、野山を駆け巡ったり、それが子供時代の経験として刻み込まれている。それが今になっても行動の原理のどこかに紛れ込んでいて、ふっとプリミティブなものを選んでしまうのかもしれない。そこで今回も制作の途中にピグミーのポリフォニーなどの昔聞いていた音を思い出して、CDを探し出して聞き直した。
DJをしているとダンスミュージックはいやでも耳に入ってくる。だから、それ以外の音楽を一人で聞く時間は貴重だなと思うようになった。一人で音楽に向かう時間、例えば、暗いゴシック・パンクみたいのをレコードで聞いて(笑)一人悦にいるみたいな時間ってどんどん無くなっていくと思うんだ。だから今は意識してそんな時間を作るようにしている。そういう時に素晴らしいなあと思うのが民俗音楽やジャズだった。ピグミーのポリフォニーで言うと、彼らは持っている文化の力、技術を全てポリフォニーにつぎ込んじゃって、だからそれ以外は発達していないんだという話もあるほど(笑)。すごく原始的だけど機能的な社会言語になっているし、創造的な何かをポリフォニーにつぎ込んでいる。無意識過剰に聞こえるけど、実は綿密に作られているんじゃないかと。今の時代、音楽制作はやろうと思えばすごくインスタントに作れる。でも、オレはピグミーのポリフォニーと同じような深みに触れる作品を作りたい」
~では、それをダンスミュージックとして完成させるのに重要なことは?
「オーディオ特性。そこに一番時間をかけてたと言って良いくらいこだわった。キックの音がフロアでどう鳴るか。最終的にそこなんだよね。曲が人に与える印象ももちろん考えるけど、フロアでの音響特性、どう機能的であるか。そこにきっちり時間をかけないと、やってきたことが全部水の泡になる可能性もあるから」
~『Sacred Days』=「聖なる日々」というタイトルにはどんな意味があるの?
「直訳すると「聖なる日々」だけど、日本の民俗学の「ハレとケ」を意図したんだ。DJとクラブ空間というのはハレの日を担っている、非日常であって、何かしらの聖性にも結びついていて。DJという行為を通じてオレはハレの日の音楽を担っているんだなと。そう思うと重責があるな、使命としてすごいものがあるなと、勝手に思いをふくらませて作っていったんだ」
~曲のタイトルも民俗学的だよね。
「制作途中にそういう本ばっかり読んでいたから。レヴィ・ストロースやル・クレジオのような先住民文化を見直すような本を。なぜそこに行ったかというと、現代社会の手詰まり感からだよね。未来が見えない。このままのやり方で50年やったら先がないとはっきり名言している人もいる。それに身の回りにエコ活動家みたいな人がいて、彼らと話していると、あまりに理想主義的な部分も感じるけど、やはり先住民文化がキーワードのひとつになる。先住民は地球環境と共生する知恵を代々築いてきたのに対して、我々は資源を乱用して経済発展しているだけだと。そんなことを知っていくのと同時に、ピグミーのポリフォニーや先住民の文様シンボルを見ると単純に惹かれるものが多い。その一方で、東京に住んで自分の生活する範疇、目に見えているものにどんどんリアリティーがなくなっていく。そこで知識としてインプットしたものを、オレはどういう形で表現するかというと、それが音楽であって、そこに投影していきたい。カッコイイことを言い過ぎかもしれないけど」
取材・文・構成:サラーム海上 www.chez-salam.com