We hear the….. 雑感
We hear the…雑感
Chari Chariという名義では18年ぶりにあたる新作「We hear the last decades dreaming」7/22にリリースされてまだ1週間強しか経ってないが、知る限りすでに大変好評を頂いており、音楽が「アルバム」という時間単位と作家性を再び取り戻して好まれる時代が到来しているのかもしれない、という錯覚に陥ることもしばしばである。錯覚、と書いたのは、”the last decades”過去数十年の自身の音楽ライフと音楽産業動向、そして高度情報化・多様化・細分化の果てにある現在地点、その交差点で知覚できることにすぐさま確信を得られるほどのナイーブさはもはや持ち合わせないからだ。そんなややこしいことをあれこれ考えながらも、とにかく大変有り難いことで感謝感激、やってて良かった!と。本当にありがとうございます。いちDJとしてはDJセットが語るナラティブを、いち音楽家としてはアルバムが語るナラティブを、ぜひ感じてみて欲しいというのはやはり強くあるわけです。
7/22のリリース当日、運良く、またエージェントスタッフの尽力によりDommuneの放映枠5時間全てを使わせて頂くことになり「Chari Chari aka Kaoru Inoue 徹底解剖5時間SP!」と称して、その後半約3時間は井上薫自身が手がけてきた約25年スパンの音源のみを使ったDJセットを、そして問題は前半部分で、旧知の方々を招いて座談会・トークセッションをやるべきだという話になり、敬愛するディープな音楽人4氏に声をかけ、奇跡的に全員OKで集まって頂き、約2時間のトークをやることになった(https://dommunecharichari.peatix.com)。私自身は実に初の経験であり、ベースになる進行表みたいなものはあったものの果たして2時間持つのか?という懸念から、語るべきこと、例えば自身の来歴やアルバム・コンセプトみたいなことを忘備録としてもある程度テキスト化し、メモとして持参した。結果、いくつかのことについて喋り倒して(ただし半ばトランス状態のような意識だったのであまり内容を覚えていない)しまい、メモの半分も語れなかったため、ここにブログとして、主に新作についてまとめてみたいと思った次第です。
まずはアルバム制作の経緯について。2002年の「In Time」を最後にChari Chariという名義での新作リリースをストップしていた。理由はいくつかあって、まずその名義があたかもDJの芸名のように捉えられていくことに嫌気がさしたのと、その頃にはすでにハウスを主軸とするダンス・ミュージックにどっぷり浸かっていたため、そのコア&ストリクトリーなリアリティを体感した上でオルタナティブな道を探求してみたい、という思いから自身に纏わりつくイメージを刷新したかった、という2点が主なものだった。ただし現在までの音楽活動を通じて、Chari Chariという名義に思い入れのあるリスナーも多いことに大いに気付かされてきた。そして2000年代を通じてDJの現場において散発的に行ってきたバンド的なライブ・セッション(エレクトロニクスと生楽器)を経験値として、2010年リリースのアルバム=Kaoru Inoue「Sacred Days」あたりからラップトップPCによる単独ライブ・セットを断続的に行い、それらの集大成としてChari Chari名義でライブ・バンドを組織することに思い至り……それが一度結実したのが2014年にageHaで行われたRA Japan主催のインドア・フェスにおいて。発案・依頼から本番までたった2ヶ月で全てを準備して挑むも、かなりの好評、ライブ中の好レスポンスを得て、恒常的なバンドとしてやっていけるかも?とさっそく作曲・レコーディングなど制作を始めた。これが全てのきっかけ。
その後、その成果として2016年にアナログ12インチ・オンリーで長尺の2曲「Fading Away / Luna de Lobos」をリリースし好評を得るも、諸事情で継続出来ず、近年になって独りで完結させる方向に舵を切り、結果マスタリングまでを手がけることになり完成させた。それにしてもこの直近最後の1年だけを見ても驚くべき紆余曲折があったが、ある意味その出来事全てを楽しむ(享受する)ようになっていた。これにはそれなりに深い理由があるように思い至ることがある。しかしその辺は己のある種の神秘体験の数々として胸中に留めておくことにする。
作曲、ミックス、マスタリング、という行程をある時期から完全に独りの作業として行っていった。DAWにおける技術の進歩、更なるパーソナル化によって、望むならばある時代までプロの領域だと思われていたことが(ある程度)可能になっている。ここ1年くらいの制作はそのことを強く実感する貴重な時間・体験でもあった。またここ5年くらい、学生時代かというくらいアナログ盤のディグとリスニングに再びハマっており、Chee Shimizu氏のObscure Sounds的なものから現代音楽、現代邦楽、または西洋クラシックそのもの、それに昔から継続している民俗音楽への興味など、音楽を深く聴く行為と付随する意識の流れが制作作業への没入と歩を合わせている。つまり改めてそれらに強く影響を受けているということになる。
アルバム・タイトルについて。まずは近年のレコード掘りと合わせて心酔している作曲家のひとりである武満徹さんの楽曲「I hear the water dreaming」へのオマージュというところがひとつ。武満さんは言葉の御人としても優れた文章を数々残しており、この楽曲(タイトル)について先住民族、特にオーストラリアのアボリジニの夢見に関する文化・風習と共に触れたエッセイがあったはず。斜め読みでそこだけ記憶に残っているが、要掘り起こし。
また2016年の12インチ・リリース当時のメンバーと語っていたアルバム制作に関するベーシックなコンセプトがあって、それは全体として時代性へのレクイエムとなるものを作りたい、ということだった。そこには過去の自分自身への、という意味も含まれる。それとは別に、2010年代の10年間は実父を始め本当に大切だった人々、友人、後輩、さらには15年弱側にいた飼い猫を亡くし、彼らに哀悼の意を表する、という意味でのリアルでパーソナルなレクイエムでもある。
奇しくもコロナウィルスのパンデミックという世界的な出来事が起点となり、それ以前と以降に分かれてしまった感のある現在であるが、2020年という年はここ日本においてはまずオリンピックの開催と、それにドーピング的に賦活されたであろう経済・社会の行方、またすでにIT技術の際限のない進歩によってより鮮明になってきていた国民国家と民主主義の枠組みとその政治の凋落、などに揺さぶられる、そもそも不安定極まりないディケイドの始まりとなっていたはずだった。
時代性へのレクイエムとは、期せずして起こっている現在地点からの過去への鎮魂歌、ということである。コロナ以前に通常だったことが以降は立ち行かなくなる、というのが象徴的で、The last decades dreamingとは後期資本主義社会を生きてきた恩恵と損害を、時代性の夢見、というナラティブに仕立てたセンテンスであり、それを楽曲にトレース(作り込んだりタイトルを付けたり)していくことでアルバム全体が像を結んでいった。もちろん鎮魂することで未来を予祝しようというのであり、音楽はそこに一役も二役も買うだろう。あるいは自身の創作物はそういうものでありたい。
リリースの少し前に、その自伝を読んでからというもの勝手に師と仰いでいるアレハンドロ・ホドロフスキーの映画最新作「サイコマジック」を観ることが出来た。縁のない方にホドロフスキーとサイコマジックについて語るつもりはないので興味を持たれた方は独自に調べてみてほしい。とにかくそれを観て思ったのは、上記のような自身の音楽制作に関する一連の行為がセルフ・サイコマジック的であったかもしれない、ということ。少しではあるが実感として腑に落ちたところがあった。つまり何か負方向の楔のようなものから脱却したということだ。